「茅野市ってそもそもどこにあるの?」
と東京の知り合いから質問された。長野県だよ、というけど、いまいちピンと来ていないらしい。松本や上田市なんてのはよく聞くがそもそも茅野ってどこにあるんだろう。調べてみると長野県の南側、南信地方といわれる場所で諏訪湖の少し南にあり、東京の人間からするとのんびりした雰囲気の町であることは間違いない。有名なのはなんといっても「山」ね。右も左も山に囲まれていてその合間に人が住んでいるといった感じ。その山というのは八ヶ岳や蓼科、守屋山であり近所には諏訪大社もあるので観光地にもなっている。
これは上社本宮。 |
御柱。7年に一度御柱祭というお祭りをして社の四隅に建てる御神木。 |
生活はみんなほぼ車で移動していてぼくも職員の方から特別に軽トラと自転車をお借りして生活している。繁華街といえるようなエリアはないかも。車移動が基本だからそれに合わせて街も昔とは変わっているんだろうね。ユニクロと西友、その他スーパーなんかはだだっ広い駐車場と共に少し離れた街道沿いにありました。パチンコ屋もね。ここら辺の風景は他の地方都市と一緒。
でね、楽しいのは空気と野菜がおいしいこと!
地元産の野菜が近所の農協(のスーパー)で販売していて。今の時期はレタスやトマト、茄子やピーマンなんかがおいてある。茗荷なんかもおいしくて沢山はいっているのに、東京より3割程度は安いんだけど、家の向かいのおばちゃんが「食べなよ」といって家庭菜園の野菜を持ってきてくれて結果余り買うことなく新鮮な野菜を楽しんでいる。いやあ、帰りたくないなあ。
隣のおばちゃんがくれたキュウリとゴーヤ。
キュウリとゴーヤ。 |
「それでは施設にご挨拶に行きましょう」
とOさんに連れられ精明学園に伺う。ここは18歳以上の知的障がい者の支援施設と滞在型のケアホームがくっついたもので約80人程度が生活している。支援施設っていうのは障がいを持った人が自立し社会生活を行なえるように支援、訓練する場所でケアホームというのは介護が必要な人のための滞在型施設ね。それがくっついたものと思えばいいのかな。
山の中にあるその施設は誤解を恐れずに言えば入るのにちょっと勇気がいった。玄関を入ると床に座っている若い男性がじっとこちらを見ている。中に入っていくと人々の視線が集まり、注目される。もちろんこちらが挨拶しながら入っていけば何となく見るのは当たり前でしょってだけなんだけど、この瞬間かなり緊張した。「こんにちは」と挨拶すると返す人もいるしそのままじっとこちらを見ているだけの人もいる。初めてで緊張するのは仕事先や学校でのWS等でもおなじことで、べつに当たり前だよなと落ち着いてきた。子供たちだって話しかけても上手く返事できない子もいるからね。
僕も「失礼があってはいけない」と逆に気負っていたところがあったのだろう。なんといっても初めての企画だししかも障がいを持った方々であるのだから!というような肩肘はったようなね。普段だったら「『カッコーの巣の上で』を思い出したよ!」なんて軽口のひとつも叩くところなんだけどやっぱり気を使うじゃん。相手にどう取られるかわからないことをうかつに言うべきではないよね、マナーとして。
中は三つの生活棟(男女に分かれている)と食事や集会が出来る棟、それにレクや運動が出来る体育館が備わっており近代的な旅館のようなつくりだった。建物と建物の間には中庭があり体育館等は近所の方々も利用しに来るらしく、全体的に開放的な雰囲気に溢れている。働いている人たちは若い人が多く訪問した時間帯は夕食前の自由時間だったこともあり人々が自由に行き交い集っている。それぞれの様子はあまりじっと見ることが憚られたのでなんとなくではあるがリラックスして過ごしているように見えた。
話を伺いながら見学しそれぞれの年齢や男女比等を質問しながら見ていたが林さんが興味深いことを言っていた。ここに入っている人たちは3:2の割合で男性が多く、一般的に知的障がい者は男性が多いと言われているとのこと。へえ。何か理由があるのか聞いたがそれはわからないとのこと。男の人の方が生活に関係ない趣味で夢中になってファンタジーの世界に行きやすいとは思うけど関係あるのかな?と素人の僕は妄想したんだけどね。後で調べてみます。
施設内を一回りしたところで改めて林さんにお話を伺った。
こういった知的障がいの支援施設はそれとなく偏見の目を向けられやすくそして隠されてきた歴史もあったと。だからこのような場所に施設があるということでもあるが、だんだんとそれもなくなってきて建物も新しくなり利用者も心身ともに清潔に過ごせるようになって嬉しいとのこと。
僕も偏見なかったとはいいません。ていうか知らないんだよね、実情を。知らないからこそ偏見は生まれるのだろうし軽く冗談を言いあえるような関係にもなっていない現実がある。その現状をいきなり変えることは出来ないけど、知ってもらう糸口は作れるのではないだろうか?このブログもそのひとつ。
一人元気で人懐っこい女性がいてね。「また来てね〜!」と送り出してくれて、僕らも明るく帰ってきたのだった。
ま、とにもかくにもまずは僕自身が知ることが出来たことが一番の収穫だったと思う。